ゲンティン:林を見て木を見る

0
161

ダニエル・チェン

マレーシアでのカジノ独占権、ニューヨーク州の5つの自治区でのカジノ独占権、シンガポールにおける複占的カジノ経営権(duopoly)、そしてマニラにおける寡占的なカジノ経営権。ゲンティン・グループ(Genting Group)がこれまでに手に入れた輝かしい実績だ。これまでに失敗してきた事もあるが、達成してきた事の重みに比べれば、取るに足らない話だろう。ゲンティンの起源は、1965年に中国からマレーシアにほぼ無一文で大きな夢だけを胸に抱いて移民してきたリム・ゴー・トン氏(Lim Goh Tong)から始まる。今から4年前に設立50周年を迎えたゲンティンは経営のバトンを次の世代に渡しつつ、いまだに成長を続けている。2010年には、シンガポールにある彼らのフラッグシップ施設は世界で最も高い利益を叩き出している。

ゲンティンがカジノの世界に足を踏み入れた時、ラスベガスの血統書付きオペレーター達は彼等を疑いと愚弄の目で見ていた。20年の年月を経て業界の頂点に立った今でも、同業他社には受け入れられていないかもしれない。そんな冷ややかな視線に気にも止めず、ゲンティン創業者はマレーシアの高原に自らの手で煉瓦を積み上げて建てたリゾートを皮切りに黙々と事業を広げていった。今日では、彼の立ち上げたカジノ・リゾート事業はプランテーション、石油・ガス、不動産、造船、その他無数の事業を営むコングロマリットへと成長を遂げ、主要なカジノ・オペレーターの中では非常に珍しい多角的なグループ経営をしている。また、欧米やアジアのカジノ・オペレーターが普通に土地の上でカジノ運営を行う中、ゲンティンはスタークルーズやクリスタルクルーズ等の船上カジノを展開し、しかも英国では自宅からインターネットを通して、テーブルゲーム、ポーカー、スロットゲーム等のゲームが楽しめるオンライン・カジノ・サービスも提供している。陸だけに止まらず海、そしてネットへも進出しているゲンティンはまさしく、カジノ業界切っての「ガイア企業」と呼んでよいだろう。

アジアのカジノ王

アジアの「カジノ・キング」と聞けばマカオのスタンレー・ホー(Stanley Ho)を指すが、意外な事に彼の残したビジネスと伝説はマカオ以外のアジア地域ではほとんど見ることがない。その代わり、それらの地域で見つけた足跡をたどって見えてくるのは、ゲンティンの創業者であるリム家の力と影響力である。

ゲンティンのマレーシアにおける施設は、独占的なポジショニングを背景として、長年にわたりカジノ運営の「ベスト・プラクティス」や効率的な経営手法を確立した事で知られてきた。その過程で、カジノ業界における優秀なプロフェッショナルを数多く輩出し、各国でカジノ施設が多く建設され、市場が益々成長する中、ゲンティンが実質的に「カジノ大学」の役割を果たし、優秀な人材を市場に拠出してきた事も事実だ。

アジアにあるどのカジノ施設に足を運んでも、マネジメントやオペレーションにおける高い役職に就いている優秀な人材は、ゲンティンの元社員(いわば「卒業生」)であることが珍しくない。例えば、多くの人は西オーストラリアにあるパース市やそこに所在するクラウン・バーズウッド・カジノ(Crown Burswood Casino)を知っていると思うが、そのカジノは1980年代にゲンティンが土地を埋め立て、カジノを建設し、その後に運営していた事を知る人はほとんどいないのではなかろうか。

ゴー・トン氏の息子であるリム・コック・タイ氏(Lim Kok Thay)もまた、ゲンティンの名だたる卒業生の一人である。彼は90年代に始めたカジノ・クルーズ事業「スター・クルーズ」を、アジアで最も大きなカジノ・クルーズ事業へと成長させた。クルーズ事業を立ち上げてから四半世紀を経ても、彼は海からの誘いに耳を傾き続けていた。イタリアのヨット製造会社及びドイツの造船所を取得した後、クリスタル・クルーズ社(Crystal Cruises)の買収でラグジュリー・クルーズ業界への参入を果たし、そしてスター・クルーズ(Star Cruises)の保有船体数の拡大と共にブランド名を「ドリーム・クルーズ(Dream Cruises)」へと変更していった。今年4月、マレーシア政府がコック・タイ氏に対して1MDBスキャンダルの主犯格で逃亡中のロー・テック・ジョー氏(Low Taek Jho)が所有するスーパーヨットを1億2600万ドル(約130億円)で売却した事も一躍話題となった。

世界征服への挑戦

創業者の息子も家業に加わり経験を積んできたところで、一族は世界征服の野望を抱き始める。目指すは北米。親子は大海を渡りアメリカ市場への参入に臨んだ。

ゴー・トン氏は、5番街を車で走りながらエンパイヤ・ステート・ビルの取得などを考えたかもしれないが、同氏が発掘した金鉱はネイティブ・インディアン(アメリカ先住民)のマシャンタケット・ピクォート族(Mashantucket Pequot Tribe)が運営していたインディアン・カジノであった。この時、マシャンタケット・ピクォート族はビンゴ・ホールをカジノに改修する計画を持っていたが、建設ローンを金融機関に要請したが全て断られて途方に暮れていたところだった。そこに、マレーシアからのホワイト・ナイトとしてゴー・トン氏が突然現れ、その計画を実現化する事ができたのであるが、この投資によりゲンティンはアメリカのインディアン・カジノの歴史にその名を残すことになった。

1992年、ピクォート族は7000台以上のスロットマシンを擁する世界最大級の大規模カジノ施設「フォックスウッズ(Foxwoods)」を新規に開業した。同施設は最も高い売上を上げていた時期には年間10億ドル以上(約1100億円)のゲーム収入を叩き出す世界最大級のカジノ施設へと成長した。虹の橋のたもとには宝箱が埋まっていると言われるが、まさにリム一族はニューイングランドの樹木の中に埋まった金貨が詰まった箱を見つける事ができたと言えるだろう。その箱はリム一族に対して20年以上も相応のゲーミング収入とローン利息を提供し続けた。フォックスウッズの驚異的な成功のおかげでインディアン・カジノはいつしかカジノ業界の大リーグの仲間入りを果たす事となり、その他のインディアン部族によるカジノ事業参入を促す大きなきっかけともなったのであった。この動きは、最初はピクォート族の近隣にいるモヒガン(Mohegan)に始まり、その後にカリフォルニアのペチャンガ族(Pechanga)とモロンゴ族(Morongo)、そして著しい成功を達成する事になるフロリダ州のセミノール族(Seminole)へと繋がっていく。ゲンティンが火付け役となり過去に類を見ないほど活発となったインディアン・カジノ市場への投資は、同市場を全米カジノ収入割合のおよそ半分を占めるほどの規模へと成長させた。リム一族の勢いは止まらない。2010年、ゲンティンは業界大手のハードロック(Hard Rock)やペン・ナショナル(Penn National)を抑え、ニューヨーク州クイーンズのアケダクト競馬場(Aqueduct Racetrack)でVLTカジノ施設を建設・運営する権利を取得した。ゲンティンの「リゾーツ・ワールド(Resorts World)」ブランドが北米市場に正式に参入した瞬間である。

この様な功績の一方で、ゲンティンは失態や不運に見舞われたことも多数ある。誰もが欲していたマカオにおけるカジノ・ライセンス獲得に失敗したり、韓国で進められていた統合リゾート施設の計画を破棄したことで、計画に携わっていた重要な役職員を提携先の中国企業に奪われてしまったこともある。その他にも、フォックスウッドの成功体験を繰り返そうと、これまで10年間にわたってマサチューセッツ州のワンパノアグ族に4億ドル(約440億円)の経済支援を続けてきたが、未だ返済の目処が立っていない。

さらに、フロリダ州のゲーム規制緩和を訴えていたゲンティンに対し、同州で市場の独占許可を所持している地元のセミノール部族から激しい反発を受け話題となった。この一件で、フロリダ州に施設を持つウォルトディズニー社からも、カジノ施設は健全な州の印象を壊してしまうと強く批判を受けた。また不運にも、ディズニーがFOXコーポレーションの株式の大半を取得した事により、FOXはゲンティンと提携してマレーシアで進めていた新たなカジノ施設のテーマパーク事業からの撤退を決定し、ほぼ完成間近であったテーマパークは何らブランドのないものになってしまった。

リム(中国漢字「林」、読み「lin」、意味「森、林」)

リム家の三代目が育ってくる中、業界評論家達は一族の今後の展開について様々な憶測をし始めているが、彼らはそんな憶測を全く気に掛けていないようだ。リム一族はあまり表にでたがらない。ラスベガス界隈では著名なカーク・カーコリアン氏(Kirk Kerkorian)ほど閉鎖的ではないものの、相当に内向的だと言えるだろう。政界とのパイプ作りにおいても、サンズのシェルドン・アデルソン氏(Sheldon Adelson)のように全くアクティブではない。献金や慈善活動等も対外的に全く情報を出そうとしない。当然ながら、超富裕層の一族がラグジュリー・アイテムとして欲しがる典型的なものは手に入れているようだ。豪華な邸宅や超高級車(ランボルギーニやフェラーリ)は当然として、国際逃亡者であるロー・テック・ジョー氏のスーパーヨット「エクアニミティ(Equanimity)」をも購入してしまった。

しかし、リム一族がどれだけ裕福であろうが、彼らの生活スタイルを「快楽」や「退廃的」のような単純な表現で表すことは適切ではない。どちらかと言えば、「控えめ」もしくは「慎み深い」という表現が適切だろう。「リム」を漢字で書くと「林」になるが、創業者であるリム・ゴー・トン氏と二代目であるKTは「木ではなく林を見る」能力があるのだろう。彼らが触れてきた事業の多くは成功を収めている。単なる幸運だったかもしれないが、彼らの事業家としての類い稀な能力を否定することは難しい。

未完成の仕事

7年前に還暦を迎えたコック・タイ氏は未だゲンティンの会長を務めており、全く引退する様子を見せない。ここまで仕事に精を注ぎ込むコック・タイ氏であるが、もともとゲンティンは彼の兄に引き継がれる予定であった。次男であるコック・タイ氏が後継者として指名されたのは、彼の兄がつまらない過ちをおかし、帝国を引き継ぐチャンスを吹き飛ばしてしまったからであった。

そして3代目として帝国を引き継ぐのはコック・タイ氏の長男であるリム・コン・フイ氏(Lim Keong Hui)だ。彼はコック・タイ氏の半分ほどの年齢という事もあり、父親も楽しみにしていた引退を先に伸ばし、まだ現役で働いている。コン・フイ氏も、将来的に経営を担うものとしてその肩に責任の重さを感じているだろう。彼は今ゲンティンの経営を託されるその日に向けて、父のもとで懸命に事業を学んでいる。ミレニアル世代で、愛想が良くかつ社交的なコン・フイ氏は、親しい友人等の間ではフェイという愛称で知られている。非常に外交的な性格だが、祖父から父に、そして父から彼に手渡される職責の重さは相当のものだ。また、フェイが表舞台に立とうとしているカジノ業界は大きな変革の時期にきている。ウィン・リゾーツ(Wynn Resorts)、シーザーズ・エンターテインメント(Caesars Entertainment)、クラウン・リゾーツ(Crown Resorts)が競合他社による買収ターゲットとなったり、ラスベガス・サンズ(Las Vegas Sands)やSJMの創業者が余命僅かと噂される中、フェイが自らの力量や気迫を父親と世界に見せる機会は多々あるだろう。2020年は日本ではオリンピックが行われるだけではなく、3カ所の地域に対してIRライセンス与えられる年だ。2022年にはフェイの父親が2002年に果たせなかったマカオ市場のカジノ・ライセンスの取得を改めてトライする機会も到来する。若いフェイにかかる期待は大きい。世界一お金持ちの子供を描いた漫画「リッチー・リッチ(Richie Rich)」の主人公は、一夜にして天才発明家であるトニー・スターク(アベンジャーズ主人公の一人)に変貌する事が期待されているとも言える。

コック・タイ氏の心配はそれだけではない。ゲンティンがこれほどの成功を収めているにも関わらず、「リゾート・ワールド」のブランド認知度はラスベガス系ブランドに到底及んでいない。ブランド認知度の向上には時間がかかる。もしコック・タイ氏が70歳で引退を迎えたいのであれば、彼に残されている時間はそれほどない。次世代に託す他ないであろう。

「長者三代続かず」

中国では「富不过三代」(fù bù gùo sān dài)と言う格言がある。英語圏では“shirtsleeves to shirtsleeves in three generations”(直訳:「裾から裾へ、3世代」、和文「長者三代続かず」等)とも言うが、この格言は文化の壁を超えて世界中でよく耳にするものであるが、3代目となるフエイと彼の二人の兄弟に求められるのはこの格言を打ち砕く事だろう。

「ゲンティン」という名称は、ゴー・トン氏が50年以上前にマレーシアに開発したリゾートに起因する。マレー語で「峠」を意味するゲンティンは、海抜6000フィートの山の上に作られたリゾート施設だ。「ゲンティン」を中国語に音訳すると、「云顶」(ユン・ディン)、「雲の上」と言う意味になる。ミレニアム世代であるフェイと二人の兄弟達は、 中国語の格言である「叱咤风云」(chì zhà fēng yún)、すなわち「風や雲の流れに逆らい、大自然を意のままに動かす」という威風堂々たる姿勢を自らのものとし、風や雲(天意)に逆らいながら、我が道を切り開いていく力が求められている。

「ヘイワード」を探せ

1990年、ある晴れた秋空の下、ニューイングランドの針葉樹林を背景にゴー・トン氏はマシャンタケット・ピクォート族のスキップ・ヘイワード会長(Skip Hayward)と握手をかわした。それはフォックスウッド・カジノの誕生を意味し、かつ、リム一族がカジノ業界大リーグの一員に加わる事となった象徴的な握手である。

それから20年後、雪がちらつき始めるニューヨーク州。最初の握手が交わされた場所から南西に140マイルほど離れたクイーンズの一画にある老朽ビルの中で、ゴー・トン氏の後継者であるコック・タイ氏が握手を交わしたのもまたヘイワードという名の男であった。同じヘイワード姓ではあるが、前述のピクォート族のヘイワード氏との間に何ら関係はない。ゴー・トン氏と握手を交わしたヘイワード氏は、チャールズ・ヘイワード(Charles Hayward)と言い、ニューヨーク・レーシング協会の会長兼CEOを務めていた。その日はアケダクト競馬場のカジノ・ライセンスを取得したコック・タイ氏と祝いの握手を交わしていたのである。それから1年後、ゲンティンはアメリカ初のリゾート・ワールドをオープンする事ができた。

奇遇にも、リム親子の成功において重要な役割を果たしたのは、名前以外まったく血縁も関係もない二人の「ヘイワード」であった。彼らが知る由もないが、実はこの話に関わる4人の名前には奇遇な接点がある。「リム」は簡体字で「林」と書き、森や林などを意味する。「ヘイワード」という名前は中世のイギリスにまで遡るが、「森林の番人・守衛」を意味する言葉だ。不思議な縁だが、リム一族との出会いを通して、森の番人の役割を持つ2人のヘイワードは先祖が託された役割を果たしたとも言える。千年の時を経て、ヘイワードの子孫達がリム(林)を守る事になったのだ。いずれは会長職に付くであろうリム・コン・フイ氏。彼がこれからゲンティン帝国の継承者のマントを身に付けて前進していく為に、彼を見守り、警鐘を鳴らしてくれる彼のヘイワード氏を見つけなければならないだろう。(訳:小林絵里紗)