シンガポール政府が賭ける長期的視野に立ったカジノ税制度

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ダニエル・チェン

いわゆる「ギャンブル」の合法化は、政策立案者が直面するであろう、最も意見が両極端に別れる課題だ。デイヴィ・ジョーンズの宝箱だと思って開けてみたら、小さなフォントで書かれた詳細部分から開けてはいけないパンドラの箱が出てくる事もある。多くの場合、カジノ法案の成立は国会議員達の間に亀裂を作り、政府と大衆との間に大きな不和が生じる事もある。そのような状況にもかかわらず、政府がカジノの合法化に踏み切る決め手、つまり「ティッピング・ポイント」は何だろうか。その答えは、なんと言ってもカジノ事業が国の財政にもたらす莫大な見返りへの期待であろう。国や地域によって状況は大きく異なるため全ての国に適用可能なカジノ税モデルは存在しないが、適切なフレームワークを基にカジノ税システムを設定する事が出来れば、国の財政に大きなメリットをもたらす新たな税収入を得る事ができるであろう。

政府の立場としては、市場が許容できる限りにおいて、カジノ税率を最大化したいと考えるのは至極当然であろう。この考え自体は決して間違いではないが、税収の最大化だけを目的とした税率体系の設定を市場が簡単に受け入れる事はないだろう。石油販売業界に似た様な話がある。石油会社はガソリン製品を製造する際、規定のオクタン水準である95オクタンを超える、95.2〜95.5オクタンになるように製造しており、この規定以上の部分を業界では「Giveaway」(「サービス品」「余り品」の意味)と呼んでいる。ガソリンの混合プロセスは高技術を要するものの、完全に正確な混合が難しいため、規定通りのオクタン価に設定することが極めて難しい。オクタン価95を目指して製造した場合、仮に規定より低い水準の製品が出来てしまうと、全て不良品となってしまうし、またその製品を規定以上のオクタン水準に再混合しようとすると非常にコストが掛かってしまう。カジノ税に置き換えて考えてみると、最初から徴収できる限り最大のカジノ税率を設定し、全く余り品を残さなかった場合、事業者にとって全く事業性がなく、結果として業界全体が「不良品」となり、悲惨な状況になりかねないであろう。

15年前、シンガポールで2つのカジノ・ライセンスをめぐり、国際的な大手カジノ企業が壮絶な戦いを繰り広げた。舞台となったシンガポール政府にとって、カジノに対して高額な税率を課税する誘惑はどこよりも強かったはずだ。アジア市場の先駆者、マカオではカジノ総売上に対し39%課税をしていることもふまえると、シンガポールとマカオとで異なる要点などを考慮したとしても、シンガポールはせいぜい総売上に対し30〜35%課税することは安易に成立できた事であろう。

長期的視点の選択

しかし、シンガポールは長期的な戦略を決意し、政府はカジノに対しては総売上の5%を課税。プレミアムカジノとマスマーケットに至っては総売上の15%の課税を成立し、投資家などからしたら他の国と比べ、大変優しい課税モデルを適用した。その甲斐あってか、今ではシンガポールで始まった「IR」は一般的な業界用語となり、シンガポールのマリーナ・ベイ・サンズ・カジノとリゾート・ワールド・セントーサ・カジノは一貫して世界でもトップ5に入る、最も収益性の高いカジノへと成長を遂げた。

その後カジノ市場へと参入したフィリピンも、シンガポールの課税モデルを採用し、プレミアムゲームの売り上げに対して15%、マスゲームの売り上げに対して25%の課税を適用した。マニラ市場では、シンガポールで禁止されているジャンケットとマカオで禁止されているプロキシベッティング(カジノで行われている、リアルタイム放送を見ながら現地にいる代理人を通して遠隔でギャンブルに参加すること)も提供しているため、シンガポールと比べ高く課税できる。マニラはこの様なギャンブルを合法化することにより、アジアにある他マーケットから、高額な利益を期待できる中国人層の獲得に成功している。

マニラにおけるプロキシギャンブリングについて付言しておこう。マカオでさえ禁じられているこの手法をフィリピン政府は合法化し、結果として収益性の高い中国人客による多大なプロキシギャンブリング収益を獲得している。この手法では、マネーロンダリング等の疑いからカジノ当局に狙われて身動きが取れないカジノ顧客らが、自らの身代わりとして代理人をカジノに送り込み、電話もしくはマニラにあるその他の高性能通信手段を用いたビデオ・フィードにてギャンブルの指示を出し、代理人に資金洗浄させるという最も悪名高いゲーミングである。

しかし、今後新たにカジノへの参入を試みている国がここまで述べた例を詳しく調査せず、表面上の実態と税率を元に決断を下してしまうと、誤った方向に導かれてしまう恐れがある。「観光」と「ギャンブル」のハイブリッドは実に複雑な事業であり、アジアでは未だ類を見ない新しい挑戦だ。

もちろん、ラスベガスから取り入れた要素などもあるためカジノの大御所に似ている所もないでもないが、似ている要素は表面的な見かけにすぎない。アジアのカジノ事業は、ビジネスモデルから戦略、社会文化、競争環境、顧客の行動など、アメリカのカジノ事業と比べまったく異なる、独自の産物なのだ。

「マカオは39%の税率で栄え続けている。シンガポールは5%/15%の税率を引き下げるため規模を検討する必要がある。フィリピンの15%/25%は他と比べ元々の観光産業が乏しいからだ。このことから、わたし達はカジノ税をyy%課税することができる」と言うような筋の解釈はあまりにも単純であり、「オクタンレベル」問題を簡単に捉えすぎているのではないだろうか。

先日、日本政府は新しく展開するIR施設にあたり、総売上に対し30%の課税を成立し、アジア圏内でマカオの次に高い税率を発表した。

予想よりも高い税率に対し驚きもあったが、カジノ企業はすぐに落ち着きを取り戻し、その後日本の都市IR構築にあたり、10億ドル超の投資見込額を発表した。当のオペレーターからは動揺が見られないものの、財務収益モデルを調整しなければいけないアナリスト等は、厳しい課税モデルを前に悪戦苦闘している。

一方で、日本が高額なカジノ税を発表したことは、その他のカジノ管轄区域が自らの課税モデルを見直すきっかけともなった。マレーシアでは、総カジノ収益に対し25%課税していたところ、昨年から税針を40%も引き上げ、総収益に対し35%の課税を発表した。このニュースにより、マレーシア市場の独占カジノオペレーターであるゲンティン・マレーシアの株価は1日で3分の1も下落した。

20年におよぶシンガポールIRの成功は、カジノに対し楽観的な法的規制を適用したことが貢献している。しかし、ここまで市場環境が潤っていると、税率を引き上げる余裕があるのか、シンガポール政府としては気になるところだ。

そして今年初め、同政府はマリーナベイサンズとリゾートワールドセントーサの寡占的な営業権の延長と90億ドルもの拡張計画を発表した際、2022年3月から導入する新たな累進カジノ税制度も発表した。新制度では、プレミアム・ゲーミングとマス・ゲーミングに現状課されている5%と15%のカジノ税率を細分化し、ゲーミング収益高に応じた段階的な税率を設定している。プレミアム・ゲーミングについてはカジノ粗利額(GGR)が24億シンガポールドル(約1800億円)までは8%、それ以上は12%を徴収し、マス・ゲーミングについては、カジノ粗利額で31億シンガポールドル(約2400億円)を境に18%と22%の税率を設定している。

比較的控えめな増税は、「投資家にとって優しい国」というシンガポールのこれまでの姿勢と一貫している。政府は、大幅な混乱を招かず、投資家のシンガポールに対する信頼が弱まることが無いよう、常に意識して動いている。

加えて、シンガポールの新しい税制の期間は2032年、ちょうど日本のIR業界が5年目を迎える時期であり、シンガポール政府はそのパフォーマンスと地方IR市場の状況などを元に、必要に応じて再度カジノ税をその都度調整し直すことができる。

アジア圏内で最も高い、39%のカジノ税を課税しているマカオでさえ、一部の市場関係者の間では、2022年に6つのカジノ・ライセンスが失効する時期を契機に、税率を数パーセント引き上げる可能性があると噂されている。

カジノ税の現在の上昇傾向により、アジアのIR業界は3年から5年後には未知の領域に追い込まれることとなるだろう。中でも、政府の手の施しようがない領域の問題を抱えたシンガポールにとって、これから先の数年間は激しい底流に流される可能性がある、最も危ない期間だ。

中国の汚職摘発は未だ完了しておらず、マネーロンダリングなどに関しての取り締まりもまだまだ悪戦苦闘が続きそうだ。さらに中国は今月、オンラインギャンブル利用者の増加を狙っているカンボジアとフィリピンに対し、主に中国市場をターゲットにしているインターネット・ギャンブル・ライセンスの新規発行を制限するよう強制した。

マカオがシンガポールのような、比較的「健全な遊び場」として生まれ変われるかどうかは、全ては既存のカジノライセンスが全て期限切れとなる2022年にかかっている。中国政府はこの機会を利用して、マカオを全面的に改造することができる。その頃には、投資額が350億ドルと推定されている日本のIR開発に対し、90億ドルをかけたシンガポールの輝かしいIR拡大計画が対抗できるかどうかも、明らかになっているはずだ。

石油業界のオクタン価規制に例えるならば、誤りを修正する余地、つまり「giveaway」がほとんど残されていない状況でカジノ税率の改正が進んでいる。各国の動きが川の支流の様に重なり合い、業界を飲み込む急流となった時には全てが「不良品」になるかもしれない。もちろん、シンガポールが上手く荒波に乗ることができれば話は別だがー

ダニエル・チェンは主にセミノール・ハード・ロック・カフェ、ゲンティン・グループ、ラスベガス・テクノロジー社で20年以上に及ぶ実績があり、ホスピタリティー/ゲーミング業界の専門家である。本記事は、2019年8月28日のシンガポール・ストレーツ・タイムズ紙に英文で掲載されています。(訳:小林絵里沙)