MICEを取り巻く嘘、本当

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ダニエル・チェン

ビジネスの世界を永久に困惑させる略語、「MICE」という言葉が生まれたのは、既に20年も前のことである。MICEとは、会議(Meeting)、インセンティブ(Incentive)、コンベンション(Convention)および展示会(Exhibition)の全てを主催する施設であり、「MICE」はこれらの頭文字を合わせた略語だ。一度はビジネス界の注目を浴びた「コンベンション・ビジネス」、「インセンティブ・トラベル」、「コンファレンス」、「イベント/展示会」といったような言葉も、「MICE」の誕生と共に次第に流行の影へと消えていった。

今から思えば、「MICE」は少し分かりにくいネーミングだったかもしれない。ネズミの複数形を英語で「マイス/Mice」と呼ぶが、それとは全く関係ない上に、それを知らない人々がグーグル・サーチをかけると混乱するのは至極当然のことだろう。

論点として最初に挙げられるのは、MICEという表現がそれを構成する4つの要素をあまりにも適当にまとめてしまっているという点であろう。もちろん、構成する要素の間には多くのシナジーや共通点があり、それらの要素がお互いを補完関係にある事は確かだ。しかし、全ての要素をMICEという一言にまとめてしまう事で、この業界の実態が見えづらくなる事も事実だ。どの業界のMICEイベントであったとしても、展示会場やホテル等の基本的なニーズは変わらないが、実際のMICEサプライ・チェーンを構成するのは、非常に幅広でニッチな業界群でもある。事業自体の複雑さを裏目に、シンプルで覚えやすい「MICE」という表現はこれからも使われることだろう。

MICEという言葉が本当に何を指すのかが曖昧なまま、表現のシンプルさに魅了されたコンサルティング・ファームや自治体等が非常に魅力的な(言い換えると、「涎を垂らしてしまいそうな」)業界成長見込みを出している。アライド・マーケット・リサーチ(Allied Market Research)によると、広義のMICE市場規模は今後6ヶ月から12ヶ月で1兆米ドル(約110兆円)規模にまでに成長すると見込んでいる。どう見ても度肝を抜く予想数値ではあるが、これは恐らくMICEサプライ・チェーンの中で発生する全てのビジネス、つまりアップストリームの企業の周辺収益や物品販売からダウンストリームの施設利用客が使う1セントに至るまでの全てを合算したものかもしれない。

MICEのニッチ

世界中の旅行業界はMICEの登場を新たなスーパースターのように歓迎し、期待される多大な収益の分け前に預かろうと各国の観光協会等は、懸命になって策を練っている。民間企業の中では、旅行代理店や宿泊施設を提供するホスピタリティ(ホテル)企業、またはコンベンション企画会社等がMICEの主な受益者だ。実際にMICE施設に顧客を連れてくるのは、コンファレンスや展示会の企画会社、もしくは旅行代理店等が請負う。また、実際のMICE施設でも多様な周辺産業が生まれており、様々な企業が物流、マーケティング/デザイン、映像・音響制作、人材派遣、会議ツール(ハードウェア及びソフトウェア)、セキュリティ、会場設備等のサービスを提供している。

ほとんどの場合、イベント(MICE)企画会社は特定の業界・産業に強みを持つニッチなカテゴリーに分類する事が出来る。一部の業界大手を除き、企画会社の大半はコンファレンス(国際会議等)もしくはエグジビション(展示会)のいずれかしか手掛けていない。ミーティング・プランナー(研修企画会社等)の多くは中小企業が多く、ローカルな企業もしくは業界イベントを中心に、オフサイト・マネージメント・ミーティングや顧客向けコンファレンス、企業の年次ディナーイベント等を手掛けている。旅行代理店は、彼らの既存のサービスの延長として、顧客へのインセンティブ・トラベル・プランを提供している。

ホテル等の施設提供者も、様々な分類が出来る。ほとんどのホテルは通常の宿泊施設に加え、小規模な会議や講演会、企業の宴会等を主催する施設が備わっている。大規模な会議やイベントが開催できるのは、大型会議場や展示会場に限定される。後者は「ダストボウル」(枯れ果てた大地、つまり利益の出ないビジネス)であることを民間企業は既に理解しているため、このような施設は殆どの場合、より大規模なイベントを主催することを期待する地元の自治体が資金を提供し運営している。

また、近年ではコワーキングスペース事業の台頭により、極小サイズの会議需要をめぐる境界線が更に混沌としてきている。そんな中、足元の10年間最も業界を賑わせているのが、MICEに必要不可欠なオール・イン・ワン・デスティネーション施設である、統合型リゾートの登場だ。

IRはMICEの万能薬

統合型リゾートの登場は、これまでの会議、インセンティブ・トラベル、コンベンション、展示会等の幅広な需要を一気に網羅する施設の登場でもあった。かつてはラスベガス・ストリップのメガ・プロパティのみが支配していた領域だったが、アジアはその凄まじい勢いを奪い、今ではアジア太平洋地域でより豪華な新しい独自の世界を築き上げた。天然資源の少ない小さな国であるシンガポールであったが、彼らは最も早くIRを取り入れ「アーリー・アダプター」としての先駆者メリットを得ることが出来た。シンガポールの2つのIRは、減少傾向にあった観光客の足取りを逆転させ、同国を足元数年に渡ってアジア太平洋地域における最も魅力的な会議開催地としてのポジションに押し上げた。

シンガポールの成功を再現しようと、アジアでも多数の近隣諸国が挑戦するものの、未だ同じ成功に達成した国はいない。これらの国は何か重要なものを見逃しているようだ。そんな中、表現はお許し頂きたいが、次のIRの実験用モルモットとして、アジアから日本が名乗り出た。無論、日本の政府、国民および民間/公的機関がIRに抱く偉大なる期待をみると、日本にとってIRは「実験」ではなく「期待・希望」と言ったほうが適当かもしれない。彼らにとってIRは、政治的資本を失うリスクを伴う数千億円単位の大きな賭けだ。負けるには大きすぎる規模のギャンブルだ。日本政府も公言している通り、MICEと観光産業の成長が日本におけるIR開発の鍵となる。

「必要なもの」vs「欲しいもの」

ここで一旦、MICEにとって何が必要であるのかを今一度思案してみよう。まず覚えておくべき事は、MICEビジネスは単独で成り立たないという事だ。MICEはあくまでも主役を引き立たせるサブセット、即ち主要であるIRを補完し、IRを中心に広がる全体的なエコシステムを強化できるような存在でなければいけない。確かにMICEは非常に重要であるのだが、最も重要な要素と勘違いしてしまうと元々の目的から逸れることになってしまう。

MICEのサプライ・チェーンの規模は他の産業分野同様で、全体的な成長と共に自然と進化する傾向がある。中国の土地が資源に恵まれていなかったら中国の鉱業がここまで栄えていなかっただろう。中東も豊富な化石資源のおかげで、今では国際的な石油とガスの中心地となる事ができた。

要するに、MICEは充実した環境の中で初めてその有用性を最大限に発揮することができるのだ。では、「充実した環境」とは何か。MICE/IRといった施設の場合、消費者は「必要なもの」と「欲しいもの」が両方揃う場所へ行く傾向にある。前者は無くてはならない条件なのだが、最終的に消費者の判断を決めるのは後者の「欲しいもの」だ。

プランナー、オーガナイザー、航空会社、交通機関、コンベンション・展示施設等のMICE関連ビジネスは直接的に「必要」なサービスを提供している。しかし、この「必要」な設備のインフラストラクチャーがどれだけ広範囲で充実して行き届いているかは、そこにある「欲しいもの」の可用性と比例している。「欲しい」は「必要」よりも価値があるのはいうまでもない。また、「欲しい」ものを一から創り出すことは、「必要なもの」を提供するよりも極めて難しい。消費者は、エンターテイメントやエキゾチックな食、豊かで多彩な伝統文化、冒険的アトラクションなど、一から創造する事が難しい非日常でポジティブな、貴重な経験を「欲しい」と思うのだ。(訳:小林絵里沙)